プロレスとの邂逅〜1996年 出会い〜

どうも、ハヤブサです。

 

 

ブログ開設早々、SUPER JrやらIWGP US ヘビー級王座の件やらで寄り道しましたが、

ここからしばらくはワタシの個人的なプロレス回顧録を綴りたいと思います。

 

 

改めて、もし何かの事故でこのブログに辿り着いてしまった方へあらかじめお詫びしておきたい。

 

当ブログはプロレスを論じるような高尚なブログではござりゃーせん。

自分の個人的なプロレスとの向き合い方や、思い出を記録として残し、振り返るためのものです。

とりあえず、1995年から2016年までの約20年間を振り返った後、現在のプロレスに関する感想なんかをグダグダと書くかもしれません。

 

 

というわけで、プロレスとの邂逅を振り返ってみたい。プロレスとの邂逅は友人との出会いでもある。

振り返るとワケの分からない文章になるだろうと思われるが、あえて思い返してみよう。

 

 

 

 

そもそも、プロスポーツとの最初の出会いはJリーグだった。

 

 

ワタシは静岡生まれの静岡育ち。

 

誰に何を言われなくとも気付いたらサッカークラブに入っているというのが当時の静岡であった。

(今はサッカー王国?wwって感じだけど、当時はサッカー王国!!だったの。)

 

ワタシは小学4年の夏に学校のサッカークラブに入り、そして翌1993年にJリーグが発足した。

これが主体的に観戦した初めてのプロスポーツである。

 

 

地元の清水エスパルスを応援していたんだけど、なかなかヴェルディ川崎に勝てなくてね・・

なんてことはプロレスと関係ないのでJリーグについては全て割愛させていただく。

 

 

 

さて、当時は「将来はJリーガーになるんだ!」などという戯言を宣っていたハヤブサ少年は、

小学6年生になった1994年に初めて格闘技というものを見る。

K-1だ。

 

 

それまで格闘技というものを一切見たことがなかったハヤブサ少年にとってK-1は衝撃的だった。

 

 

鍛え抜かれた鋼のような肉体を持つ男たちが全力で相手を殴り、蹴り、ノックアウトしていく。

 

初めて格闘技をみたハヤブサ少年の心は完全に鷲掴みにされた。

サッカーをやっていては絶対に味わうことが出来ない興奮がそこにはあった。

 

 

 

こうしてサッカーの練習に興味がなくなったハヤブサ少年は、

サッカークラブの練習をいかに省エネで終えるかということばかり考えるようになる。

 

どう振る舞ったら一生懸命やっているように見えるだろうか、

どうしたら本当に疲れているように見えるだろうかと。

 

 

今思えばプロレスと出会う前からワタシはプロレスをしていたのかもしれないw

 

まだ小学6年生のことである。

(子供の頃からサボることを考えるなんて、ダメ、絶対!)

 

 

 

毎日でも格闘技を見たいと思いつつも、小学生の浅知恵では格闘技雑誌を買うという発想にすら辿り着けなかった。

だから数ヶ月に1回地上波で放送されるK-1ワールドグランプリの放送は食い入るように観戦した。

 

 

 

中学に進学し、何となくサッカークラブの同級生と歩調を合わせ、

またしてもサッカー部に入部したハヤブサ少年は最初からやる気がなかった。

 

サッカー観戦自体は好きなのだが、自分が上手くなることに関しては全く興味が無くなっていたのである。

(小学校時代に自分にはセンスが無いと気付いていたから)

 

しかし、入学して1年10組(10組って多くない??)のクラスに入るとそこには見覚えのある顔が・・

 

なんとお隣の小学校でエースナンバー10番を背負っていたサッカー少年がクラスメイトにいたのだ。

(奴は今でも付き合いのある腐れ縁である)

 

 

てっきりサッカー部に入ると思っていたのだが、奴は文科系クラブに入って帰宅部生活をエンジョイしていた。

 

ワタシは羨ましかった。

もはや興味のないサッカーの練習に明け暮れる日々を過ごすワタシを尻目に、奴は悠々と放課後の時間を満喫している。

 

 

そうした嫉妬の想いがキッカケとなり奴と教室内で話す機会が増え、次第に仲良くなっていった。

腐れ縁の始まりだ。

 

今書いていて思い出したのだが、奴は英語の成績が良かったワタシのことを「英語君」と呼んでいた。

なんと稚拙な発想だろう。

 

そして、2年生になってクラスが変わり、1ヶ月ぶりに会いにいったら唐突に「よう、なりきん!」と言われた。

 

誤解無きように申し上げておくが、ワタシの父親は普通のサラリーマンである。決して裕福な家庭というわけではない。

こんなあだ名を付けられた理由がわからないのだ。

 

 

この件について大学時代に奴に問いただしたことがあるが、

奴はワタシをなりきんと呼ぶ理由などとうの昔に忘れていた。

 

ワタシは今でも奴からなりきんなどというあだ名で呼ばれている。

そして驚くべきことに、このあだ名で呼んでくるのは奴しかいないのだ。

 

 

こんな同級生に振り回されていたワタシの学生生活を、どうか察していただきたい。

 

 

 

 

 

さて、1996年である。

 

ようやくプロレスと出会う年に辿り着いた。

 

おそらくは中学2年の夏休み明け頃だったように思う。

 

前述の腐れ縁の悪友に「おい、プロレス観てるか?」と言われた。

当時のワタシはプロレスを観たことはなく「あ?知らねぇ!」と答えていたと思う。

しかし、「バカ!観ろ!」と熱心(?)な説得を受けたハヤブサ少年はその週の深夜からワールドプロレスリングを観戦する。

いや、全日本プロレス中継も観戦した。

 

これがワタシのプロレスとの邂逅である。(長かったなオイ!)

 

 

 

思い返すに、観戦し始めて1ヶ月くらいの間は、プロレスとK-1の違いすらわからなかったと思う。

 

対戦相手を叩きのめすという点にしか目がいっていなかったハヤブサ少年にとって、

ルールが明確なK-1よりもプロレスの方がより残虐に感じていたように思う。

 

特にタッグマッチで、2人3人がかりで攻撃しているシーンを観ると

 

「なんて酷いことをするんだ!」

 

と思っていた。

 

 

 

純粋だねww

 

 

 

 

 

そうしてプロレスを観ているうちに、プロレスが感情をぶつけ合う闘いであるということに惹かれていった。

 

気がつけば、当時の新日ジュニアのバチバチのファイトに魅了され、プロレスの虜になっていくのである。

 

当時の新日ジュニアのメンツは本当に凄かった。

 

 

本隊は金本浩二大谷晋二郎高岩竜一

 

マスクマン軍団は獣神サンダーライガーエル・サムライケンドー・カシン

 

 

 

 

全員ヒールでも良い感じするよねwww

 

怖すぎるってwww・゚・(つД`)・゚・

 

 

 

 

もはや誰が対戦しても名勝負になること間違いなし!

 

そんな時代のジュニア戦線に完全に魅了されていくハヤブサ少年であった。

 

 

 

思い返してみると、石澤さん(ケンドー・カシン)が凱旋帰国したのって97年くらいだったかも。

ちと記憶が曖昧なんで間違ってたらサーセン

 

 

 

ただ、言いたいのは当時の新日ジュニアはヘビーよりも確実に面白かったってこと。

 

 

 

 

だからさ、高橋ヒロムの夢も叶うよ!

 

 

 

 

ジュニアがヘビーを上回ることだって出来るって!!

 

 

 

 

やってやるって!!!

 

 

越中 

 

 

頑張れヒロム!!

 

 

 

ん、結局何が言いたいのかわからん記事になってしまったな。

 

 

まぁ回顧録だからいいでしょ!

 

 

これもプロレスだよ!!

 

 

 

 

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