プロレスはリアルファイトである〜1997年 幻想〜

どうも、ハヤブサです。

 

 

ちょこちょこ思い出しながら書いていた回顧録第2弾いきたいと思います。

時系列的にご覧になる場合はコチラの記事からどうぞ。

注)回顧録には誇張表現が多分に含まれておりますww

 

1996年にプロレスに出会って以来、ワタシはプロレスにのめり込んでいきます。

 

今回は受験や友人関係など様々な変化があった(ような気がする)1997年を振り返ってみようと思います。

 

 

 

プロレスに没頭して完全に虜になっていたハヤブサ少年、そして腐れ縁の悪友は、

中学3年生になり一年ぶりに再びクラスメイトとなる。

 

 

3年8組、思えば奇跡の出会いだったのかもしれない。

 

 

 

 

400人以上いる学年の中から数少ないプロレス好きの精鋭が集まった奇跡の3年8組。

 

 

そんな3年8組プロレス部のメインロースターをご紹介しよう。

 

 

 

 

【ジュンヤ】

かつてお隣の小学校のサッカー部でエースナンバー10番を背負うも、

練習嫌いのためキャプテンをクビになった男。

 

ワタシの青春時代を語るにあたって切っても切り離せない一人、腐れ縁野郎である。

 

天性の運動神経の持ち主であり、帰宅部のクセにバスケ部と1on1をやって勝ってしまう上、

サッカー部で一番短距離走が速かったワタシと同タイムで50M走を駆け抜けた怪物野郎。

 

3年8組プロレス部の創始者にして絶対王者

 

 

 

【タミオ】

名字が奥田というだけでタミオと呼ばれた男。

 

あだ名の由来はモチロン奥田民生である。

 

あだ名に不満を持つも、力がなく実力行使が出来なかったモヤシ君。

しかし頭脳明晰でプロレス部きっての秀才君であり、オバカ集団のサッカー部の中では成績が良く調子に乗っていたハヤブサ少年ごときでは、逆立ちをしてもタミオに勝つことは出来なかった。

 

なお現在は地元の大きな病院のお医者さんになっている模様。

マジで頭良かったんです。

 

 

 

【ハルキ】

心優しきバッドボーイ。

 

普段は言葉少なく自己主張するタイプではないが、いざとなれば実力行使も厭わない熱血漢。

 

身長は当時155センチほどで大きい方ではなかったが、その身体は密度の高い筋肉で覆われていた。

今の新日本プロレスで例えるなら、CHAOSの石井智宏のような漢である。

 

本当はジュンヤと張り合えるくらいの実力があるのに、ハヤブサ少年やタミオが繰り出す稚拙な技にいつも付き合ってくれた優しい漢である。

 

当時最もプロレスを理解していたのはハルキかもしれない。

3年8組プロレス部が卒業まで存続することが出来た陰の立役者であった。

 

 

 

【アキラ】

小学5年の頃に兵庫から転校してきた転校生。

ハヤブサ少年とは小学校、中学校通じて一度も同じクラスになったことは無いのだが、

家が近く、通っていた学習塾が同じであり、それがキッカケで仲良くなった。

 

中学2年生の頃にジュンヤと同じクラスで交流があり、当初は3年8組プロレス部の試合を観客として観戦していたが、

いつからかジュンヤの技の餌食となり晴れてメインロースター入りを果たす。

 

格闘技、プロレス共に大好きであり、ハヤブサ少年に修斗の存在を教え、

総合格闘技との出会いを与えてくれた存在である。

 

 

 

ハヤブサ

ワタシだ。

 

神 

(本当はモンスターエンジンの画像が欲しかったが、良いのが無かった・・・)

 

 

 

プロレスに没頭し、主にサブミッションを研究することに精を出した。

 

しかし、非力につきパワーファイトを仕掛けられるとたちまち劣勢に立たされ、

ジュンヤが仕掛ける関節技にタップする日々を過ごした。

 

 

 

 

かのヒクソングレイシーは400戦無敗であったという。

 

しかし、ワタシは中学3年生の1年間でおそらく500回ほどジュンヤの技にタップしているww

「日に2度破れる奴があるか!!」と某オーガに怒られてしまいそうだが、3年8組プロレス部はヤワな団体ではなかった。

 

昼休み&放課後の時間を使って毎日3〜4試合をこなしていた我々にとって、400戦無敗という触れ込みは大したものではなかった。

おそらくジュンヤは1000連勝くらいしていただろう。

誰も奴には勝てなかったのである。

 

 

1学年で400人以上いる学校において、プロレス好きを公言する5人(アキラは巻き込まれ被害者だがw)

がプロレス部に集結するなど奇跡であった。

 

そんな我々はプロレスに没頭した。

 

昼休みは教室の机を全て後方に寄せ、プロレスの試合に勤しんだ。

体育で柔道の授業があれば我々は投げ技など目もくれず、腕ひしぎ十字固めの入り方を研究したものである。

 

 

時には試合形式ではなく、純粋な技の研究会なども行った。

関節技やストレッチ技をかけ、どうしたら最もダメージを与えることが出来るかということを模索した。

こうしたプロレス部の活動を通じて、我々はプロレス技の痛み、苦しみを知ったのである。

(逆エビ固めを喰らったことがある方ならわかるはず。マジで数秒でタップしてしまいますよ。殺人技です、あれは。)

 

 

 

そんなプロレス部の存在もほどなくして担任の先生の知る所となる。

しかし時代背景であろうか、我々3年8組プロレス部は担任のアッシー先生(あだ名だ)からこんなことを言われる。

 

 

 

 

「お前達、テクで来い!!」

 

 

 

 

あろうことか、担任の教師から関節技の勝負を挑まれたのである。

 

 

要するに、

 

プロレスをすることは構わん。

しかしそれなりの技を身につけているんだろうな?」

 

という、およそ中学生に浴びせるには刺激が強すぎる、強烈なメッセージがそこには込められていたのである。

 

 

 

一方の我々は、昼休みや放課後の時間を使って自分たちなりに真剣にプロレスをしていた。

 

 

時折、ふざけ半分で「お前ら何やってんだよ!」と絡んでくる奴らもいたが、

そういう奴らはスリーパーホールドでタップさせた上で、逆エビ固めや足四の字固めで徹底的に痛めつけ、

二度と歯向かうことが無いように調教した。

注)良い子はマネしちゃダメ、ゼッタイww

 

こうした経験を通じて、我々はプロレス技が本当に効く技であると体感し、

プロレスがリアルファイトであると信じた。

 

 

 

そうしているうちに、絶対王者であるジュンヤには勝てずとも、

他の奴らよりは強いのではないかという幻想を抱くようになる。

 

 

そこへきてこのアッシーの一言である。

 

 

ハヤブサ少年の心中は内心「プロレス技を使えばアッシーに勝てるんじゃね?」という想いがあった。

 

 

しかしアッシーは「ワッハッハッハ!」と当時の漫画でもナカナカお目にかかれないようなわざとらしい笑い声をあげ、余裕の表情を崩さない。

 

 

そんな中、タミオが関節を取るために仕掛ける。だが次の瞬間、タミオは腕を捻られギブアップしてしまった。

 

我々は知らなかったのだ。

アッシーが実は柔道の有段者であることを。

 

タミオに続き、ジュンヤ、ハルキとプロレス部の実力者が仕掛けても逆に関節を極められ敗れていった。

そしてワタシも数秒とかからず腕を極められあっという間にタップした。

 

 

 

我々がリアルファイトと信じて練習したプロレス技はアッシーには通じなかった。

柔道有段者の圧倒的な技術の前に我々プロレス部はなす術なく敗れたのだ。

 

 

 

しかしこれをもって終わりだとは考えなかった。

大人に比べ身体の小さい我々は、大きくなれば強くなれると思った。

 

 

もっと筋力を付け、パワーファイトにも対応出来るようになればきっと勝てるはずだと、そう信じて我々ブロレス部は中学を卒業した。

1998年3月のことである。

 

 

世間的には第二次UWF解散し、新日本プロレスUWFインターの全面戦争も1995年にとっくに決着していた時代である。

そして1997年は髙田延彦対ヒクソングレイシーという世紀の一戦が行われた年であった。

 

 

奇しくも、我々3年8組プロレス部とアッシー先生の対決は、UWFインターグレイシー柔術のようであった。

 

我々が取り組んだプロレスは、柔道という確かな技術体系に裏付けられたアッシー先生に文字通り赤子のように捻られた。

知らず知らずのうちに我々はUWFの真似事をし、そして圧倒的技術の前に敗れた。

 

 

 

歴史は繰り返すのだ!

(そんな大袈裟なことではないw)

 

 

 

 

 

 

総合格闘技との出会いについてはまたの機会に振り返りたいと思うが、

せっかくだからこの記事を締める前に3年8組プロレス部の面々をかつてのUWFインターの選手に例えて本記事を締め括りたいと思う。

 

 

 

 

【ジュンヤ】

団体の絶対的エース。

普段の立ち振る舞いを見るとさながら前田日明なのだが、

強引にUWFインターに例えたいので髙田延彦ということにしておく。

 

 

【タミオ】

プロレス部きっての秀才君、かつお調子者。

アッシーに意気揚々と技を仕掛けて秒殺される様はまさに安生洋二そのものであった。

 

 

【ハルキ】

いつもハヤブサ少年やタミオが繰り広げる軟弱ファイトを受けてくれた心優しき漢。

おそらく彼は本気で闘うことが出来なかったのではないか。

そんなハルキの心の叫びを20年越しにワタシが代弁しておきたい。

 

「ジュンヤ、俺と真剣勝負してください!お願いします!」

 

彼は田村潔司である。

 

 

【アキラ】

格闘技やプロレスは好きだが、自身で闘う事は望まなかった男。

常にジュンヤが繰り出す無慈悲な関節技の標的となった。

 

レスラーというよりはフロント寄りであり、3年8組プロレス部唯一の背広組と言える。

(ま、クラスは3年8組ではなかったがww)

 

というわけで鈴木健でどうだろうか。(←誰に聞いてんだ!)

 

 

ハヤブサ

ワタシは関節技の研究をすることに熱心だった。

 

熱中していた新日ジュニア戦線で当時最も目を引いたのはケンドー・カシンによる腕ひしぎ十字固めである。

スタンド状態からの飛びつき式、肩車のような体勢から入るビクトル式、そしてついには雪崩式まで。

 

いつ何時どんな体勢からでもフィニッシュ出来る腕ひしぎに大変な魅力を感じた。

その他にも膝十字やヒールホールドなど足関節も研究した。

 

自分で言うのもなんだが、例えるなら山崎一夫である。

(ワタシは山ちゃんが大好きです)

 

 

 

 

格闘技路線のプロレスというものが一段落していたはずのこの時代に、

我々3年8組プロレス部はプロレスの強さを信じ、卒業とともに解散した。

 

 

 

プロレスは絶対に強いと信じてやまなかった、淡い青春時代の思い出話。

 

To be continued...