忘れられたタイトルマッチ・・ワタシは悲しい
どうも、ハヤブサです。
いよいよG1ロス大会が目前に迫って来ていますが、
ROHでKUSHIDA選手がTV王座を防衛したり、
Cody選手がROH世界王者になったりと、
世の中は新日本のリング「外」の話題ばかり・・・
いやね、それも大事なことなんですが、
まだ明日から2日間、後楽園ホール大会があるというのに、
ロス大会の話題ばかりでは何とも切ないではありませんか。
YOSHI-HASHI選手だって我々ファンから顔じゃないと思われているだろうと感じてか、珍しくマイクパフォーマンスなども頑張っているようですし、
我らがBUSHIは大阪城前の内藤選手と同じく、対戦相手不在の中で盛り上げようと文字通り孤軍奮闘しているワケです。
確かに、ロス大会は新日本が本格的に海外に打って出るための重要な大会です。
でも、USヘビー級トーナメントやら、半ば無理矢理に外人を挑戦者にしたタイトルマッチを見せられてアメリカのプロレスファンはどう思うんでしょうね?
もちろん、新規客のことを考えれば最初の印象は大切でしょう。
そのためには手っ取り早くアメリカのスター選手を抜擢するのが良いのですが・・
徐々に普段の新日本を見せていった時に変に印象が変わっちゃうんじゃないですかね?
(別個の議論があるということはさておき)
新日本プロレスってのはバッチバチの激しい試合が持ち味なのだから、
それを最初からドーンと見せるような大会にした方が良いのではと思うのです。
そして、海外興行が成功するもしないも、国内が上手く回ってなければお話になりません。
そのためにもやはり直前の後楽園大会のことももっと盛り上げて欲しいなと。
明日はNEVER無差別級、明後日はIWGPジュニアのタイトルマッチがありますが、
一体どれだけの人が楽しみでしょうがないと思っているのでしょうか。
(ワタシ個人的には、NEVERはゴメンって感じですがw、IWGPジュニアは楽しみです)
内藤選手だって去年こういうコメントしてましたよ。
「まだワールドタッグリーグのシリーズが残っているのに、今から東京ドームの話をするのは、ワールドタッグリーグを観戦予定のお客様に対して失礼だ」
明日からの後楽園ホール大会、まさにこんな状況なのでは・・・
ま、こんなこと書いているのは、個人的にロス大会があまり興味無くて・・・というのもですね、あまりにアメリカファンに迎合しようとしている意図が見え過ぎて、興ざめしてしまっているんですよね。。
元々アメリカンプロレスがそんなに好きじゃないので、そっちよりの興行にしようとしてるんじゃないかと思っただけでゲンナリしちゃうんですが。
キッカケ作りのためには仕方ないんでしょうが、オリジナリティを失ったエンターテイメントは資本の原理に飲み込まれてしまいますから、やはりWWEとは明確に差別化して欲しいんですけどねぇ〜。
ま、Codyとビリーガンという、新日本とは縁もゆかりもない選手(と、敢えて言っておきます)に重要なタイトルマッチを託した新日本の賭けがどう出るか。
ワタシはあまり期待していません。
最後にKIZUNA ROADのポスターについて。
大阪城ホール大会のポスターに続き、今回もタイトル戦と全く関係のない真壁選手が、写り込んで来ていますww
左右対称にするための人数合わせなのか、それとも別の意味があるのか。
ついでに言うと、王座陥落しても内藤選手はセンターなんですね〜(歓喜)
ちなみに、DOMINIONのポスターはコチラ。
YOSHI-HASHI選手の次は、真壁選手かもしれませんね〜!
あ〜、楽しみだなぁ(棒)
エンセリオ!
マ・ジ・で!!
棚橋選手、もうブーメラン投げなくていいんだよ。
どうも、ハヤブサです。
昨日発売された週プロに内藤選手のインタビューが掲載されていましたね。
大阪城ホールで負けた内藤選手が表紙&5ページにわたる巻頭インタビューを飾るのに対し、棚橋選手は1ページ凝縮型・・・
濃密な記事なんだよ、きっと(棒)
内藤選手のインタビューを読んでワタシは安心しました。
いやね、実はほんのわずかだけ不安があったんです。
IC王座から陥落して、以前からIWGPを超えてしまったと言っていた内藤選手が
「ベルトなんか無くても俺の価値は変わらない。これからは好き勝手やらせてもらう」
みたいなマジな制御不能発言をしたらどうしようかとw
(1パーくらい心配してましたww)
しかしそこは、東京ドームのメインに立つためにIWGPヘビーのタイトルが必要となるのなら、そこを目指す理由はあると改めて確認してくれましたからね。
内藤ファンは再びIWGPヘビーを戴冠する姿を期待してますから、今後IWGP戦線に復帰するだろうと思える発言をしてくれてホッとしたと、こういうワケです。
閑話休題。
今週から健康のために白湯を飲み始めました(唐突)
白湯は代謝を上げて脂肪燃焼に効果的だったり、内蔵温度があがることで老廃物を排出する力が高まったりと、お手軽な割に健康に役立つ効果が満載だそうなので、しばらく続けてみようかなと思っています。
女性は冷え性にも効果があるらしいですよ!
ま、ワタシの場合はダイエット効果に期待しているので、速効性よりも長く続けて体質改善が出来たらなぁと思って、割と真剣に取り組んでみようと思っています。
話は戻りまして。
棚橋選手は一体何個のブーメランをもっているのでしょう?(・∀・)ニヤニヤ
大阪城ホール大会前の舌戦で散々ブーメラン発言を連発しておきながら、まぁ〜だ投げ足りないようですww
ホントはこの発言を拾うのはロス大会後くらいのタイミングにしようと思ったんです。
なぜなら、多分内藤選手に小馬鹿にされるだろうと思ったので。
そしてそれはロスでのIC王座戦後のタイミングだろうと予想していたので。
しかしね、もうケッサク過ぎてガマンできませんww
それでは6月18日新潟大会後の棚橋選手のインタビューをどうぞ。
(インターコンチ王者としてのプランは?)
インターコンチのプランどころか、ベルト乱立の全てを統率しますよ。それはベルト統一とかじゃなくて、ベルトごとに明確な基準、条件、そういうものがハッキリしないといけないと。
その先駆けとしてインターコンチを巻く人間として、対戦相手の挑戦条件というものを、まずは明確にします。
ようやく止まっていた時計の針が動き出しました。
〜週プロ7月5日号記事より抜粋〜
もうどこから突っ込んであげたらよいのかww
①ベルトごとに明確な基準、条件をハッキリさせる。
別にアナタがそんなこと言わなくても、それぞれのベルトの色は既に出ていましたよ。
IWGPヘビーは王道、ICは反体制ヒール、NEVER(柴田時代)は古き良き新日本プロレスと、それぞれしっかりした色の違いが出ており、ファンは自分が好きなベルトを選んで楽しむ事が出来ていたのです。
②インターコンチ王者として、挑戦者の条件を明確にする。
お気は確かですかぁ〜〜??
あれだけゴリ押しでIC王座に挑戦して、しょっぱい試合でベルトを掠め取っておきながら、よくもまぁこんなことをおっしゃるww
(ワタシがIC戦で評価したのは感情が見えたというところだけです)
まずはご自身に挑戦資格があったかどうか、胸に手を当てて考えてごらんなさい。
さすが、「リアル崇高なる大泥棒」はコメントのスケールも違います。
③ようやく止まっていた時計の針が動き出した。
それはおめでとうございます!
でも、よく確認した方がいいですよ。
その時計の針、左回りに動いてませんかぁ〜〜??
ガマン出来なかったww
まだまだ内藤棚橋劇場は続くということなのでしょうかね?
大阪城大会で棚橋選手の勝利後アピールを見て期待はずれだったと発言した内藤選手にはもはや興味がないことなのかもしれませんが、ここは一つ痛ぁ〜いところを突いた一言を期待したいものですね!
ということを思いつつ、こうしてしょっぱいカードのIC王座戦の注目度を上げようとしているのだとしたら・・・
棚橋弘至、なかなか卑怯な策士だなww
しっかしビリーガンはねぇだろ〜!!
エンセリオ!
マ・ジ・で!!
G1クライマックス出場選手・・ワタシの期待は超えなかった。
どうも、ハヤブサです。
冒頭からどうでも良い話ですが、今日久しぶりにアホなミスをしました。
仕事で使う書類を作成したのですが、
「プロセス」
という言葉を
「プロレス」
と書き間違えて上司の査閲に回してしまいましたw
その上司、ワタシがプロレス好きなのを知っているので・・
上司「1箇所だけ直しておいて。ココ、気持ちはわかるけどさww(ニヤケ顔で)」
ワタシ「アッ!ww」
作成した後セルフレビューしたにも拘らず、こんな誤字に気づかぬとは・・
これが若さか!
注)34歳のオジサンです。
さて。
昨日の後楽園ホール大会にてG1クライマックスの出場選手が発表されました。
皆様色々と思うところがあるでしょうが、ワタシからは一言だけ。
なんで永田選手エントリーされてんの!?
絶対永田選手はエントリーされてない方が面白かったハズなのに。
内藤選手風に言うならば、期待は超えなかったと、そういうことですよ。
北村のG1初出場期待してたんですけどね〜!
エンセリオ!
マ・ジ・で!!
強さとは何か〜1998年 葛藤〜
どうも、ハヤブサです。
前回のエントリーに続き、今回も回顧録を綴りたいと思います。
一応、話の流れがありますのでバックナンバーを貼っておきます。
時は1998年、無事に高校受験を終えたハヤブサ少年の心に去来したもの。
それは「強さとは何か」という想いでした。
プロレスファンなら必ずぶつかるこの問題。
周りからはプロレスなどまやかしだ、八百長だと言われ、それでもプロレスを信じてやまないハヤブサ少年の葛藤を振り返りたいと思います。
1998年4月、ハヤブサ少年は地元では名の知れた進学校へと入学します。
入学前の春休みの間に山ほど宿題を出され、それを1ページもやらなかったハヤブサ少年は入学早々落ちこぼれるのですが・・・
プロレスとは全く関係ないのでそのお話は全て割愛しますww
教科書で学べる程度のことなど、人生では屁の役にも立たぬ。
プロレスから学んだ教訓でワタシは生きているのだ!!
(ブログで強がるくらいのことは許してくださいww)
さて、入学したはいいものの、以前の記事にも書いてある通り、ハヤブサ少年は小学6年生の頃にサッカーに対する情熱を失っており、高校に入ってまでサッカー部に入部する気などサラサラありませんでした。
どんな部に入ろうか悩んでいると、ふと目に留まるものが。
空手部だ。
まさか空手部なんてものが高校にあるとは知らず少々驚いたが、元々格闘技に関してはK-1が出会いの発端であるハヤブサ少年は非常に興味を持ちます。
そして偶然にも、空手部のパンフレットを観ているワタシとタミオ(タミオは3年8組プロレス部きっての秀才で同じ進学校に入学していた)のところに女性の先輩が声を掛けにやってきた。
空手部に入りませんか?と。
女性部員がいることにまず驚いたのだが、ワタシは勧誘に来た女性部員の先輩に目を奪われ、即座に入部を決意する。
「強さとは何か」
入部を決めた瞬間のワタシの頭にそんなテーマは無かった。
クソである(#・∀・)
格闘技を習うという経験が皆無であったハヤブサ少年にとって、空手のイメージといえば、かつてK-1を通じて知っていた極真空手であった。
防具を付けずに打撃戦を繰り広げ、人体の限界を極める。そんな集団だと思っていた。
しかし空手部で習ったのは所謂スポーツ空手と言われるもの。
メンホーと言われるヘッドギアと、グローブ、胴当てといった防具を付け、基本的に寸止めで技を繰り出すというルールだ。
(実際は寸止めではなく、技を当てて拳を「引く」ことが重視されるため、パンチもキックも当たれば当然痛い)
まずは基本の正拳中段突きから練習を始め、少しずつ空手の技術を習っていく。
1ヶ月ほど経ち、組み手の練習などもやり始めるようになったが、ハヤブサ少年にはずっと違和感があった。
確かに空手の練習を通じて以前より強くなっているのかもしれない。
しかし、組み技も極め技もないこの競技は果たして本当に強いのだろうか。
部内には空手経験者で黒帯を持つ部員もいるが、タックルでグラウンドに持ち込んでしまえばプロレスで培ったサブミッションでいくらでも仕留められるのではないか、こうした想いが日に日に強くなっていった。
当時のワタシは空手部で習うことよりも、中学時代の3年8組プロレス部で培ったものの方がより強さに通ずると思っていたのだ。
そしてある事件が勃発する。
(実際はしょうもない子供の喧嘩ですw)
空手部の同級生で、中学時代は団体戦で全国優勝をしたという大柄な男。
彼は確かに組み手が強かったが、毎日観察していると攻めのパターンが数種類であることにワタシは気付いた。
もちろん、格闘技経験のないワタシがそれに気付いただけで即座に勝てるものではなかったが、ワタシは日々の練習の中でこう来たらこう返す、と身体に染み込ませ、いつか組み手で勝利出来るように練習を積んだ。
入学して半年ほどが経過した頃だっただろうか、10月か11月頃だったと記憶している。
ワタシはその男と組み手の練習を行うことになった。
対策は万全である。
数種類しかない攻撃、フェイントのパターンは全てインプットされており、あとはカウンターを合わせるだけだった。
組み手が始まって数十秒したころ、お決まりパターンの攻撃が放たれた。
ワタシは完全に見切ってカウンターの中段逆突きを刺す。
「決まった!」
気合いとともに極めのポーズを取るワタシにその男は物言いをする。
「いや、当たってない」と。
確かにワタシはルールに基づき彼の腹部への中段突きを軽く当てる程度で拳を引いた。
おそらくダメージは無いだろう。
しかし、これは公式大会でもポイントが認められる動作である。
が、彼にとってはワタシの中段突きが当たったと気付かぬ程度でしかなかったが故にこのような主張をしたのかもしれない。
そのため、ワタシは彼の攻撃をどう見切り、どのようにカウンターを取ったのか解説した。
ところが、素人のワタシにカウンターを取られた彼は余程悔しかったのか逆上し、
「今のは当たってない、無効だ!」と続ける。
この時ワタシの中で積み重なっていた苛立ちや不満が爆発した。
それは組み手の練習相手にポイントを認めて欲しいということではない。
練習中のポイント判定など、およそ強くなるためには取るにも足らない事である。
その程度のことに右往左往しているようでは強くなれるはずが無いと、
ハヤブサ少年は空手部に対して失望してしまったのである。
さらに言うなら、共に強くなることを目指している(はずの)部員に対してリスペクトする気持ちを表せない人間と一緒に過ごすことはハヤブサ少年には受け入れ難かったのだ。
この日以降ハヤブサ少年は空手部の練習に出なくなります。
タミオはその後も暫く練習に出ていたようですが、気がつくと更なる大事件が!
(これも子供の喧嘩の延長ですw)
なんと、空手部の同級生4人が退部するという話になっていたのです。
ワタシが組み手練習での一件で部活に出なくなって以降、この4人も空手部に対する不満が爆発したんだとか。
まさか自分の子供染みた行動が退部騒動に発展していたなどとは知らない当時のワタシは、
「みんなちょっと待って!俺も辞めるって!!」
てな具合に退部騒動に乗っかって部活を辞めるのに必死でしたw
こうして空手部を辞めるに至ったハヤブサ少年は、本当の強さとは何だろう?という疑問に対して何の答えも出せぬまま1998年を通り過ぎてゆくのです。
高校に入学して半年余り、強くなるために空手を学んできたつもりだったハヤブサ少年にとっては、3年8組プロレス部での闘いの方が痛くて、苦しくて、真面目に闘っていたという想いに駆られるのです。
プロレスの方が空手より強くて、誇らしいじゃないかと、そう思うようになっていたのです。
そしてワタシは打ち込むものが何も無くなり、無気力な毎日を過ごすことになりますが、それは次回以降のエントリーにて。
最後に。
この記事を書いていて思い出した言葉があります。
「先月までのお前は面白いヤツだと思ったけど、今のお前の目には光が無いよ」
これは空手部の顧問をしてくださっていた数学の先生の言葉です。
(練習指導は近所の道場の師範が面倒を見てくれていたので、空手経験のない先生が顧問だったのです)
退部する意思を伝えに先生と話をした時に言われた言葉で、当時は結構傷ついたことを今でも覚えています。
でも大人になってみると意味がわかるような気がします。
正しいかどうかは別として、必死になれる何かが人を成長させるんですよね。
そう考えてみると、今のワタシは何に必死になるべきか・・?
うん、ダイエットかなww
(現在体重69キロなうww)
エンセリオ!
マ・ジ・で!!
プロレスはリアルファイトである〜1997年 幻想〜
どうも、ハヤブサです。
ちょこちょこ思い出しながら書いていた回顧録第2弾いきたいと思います。
時系列的にご覧になる場合はコチラの記事からどうぞ。
注)回顧録には誇張表現が多分に含まれておりますww
1996年にプロレスに出会って以来、ワタシはプロレスにのめり込んでいきます。
今回は受験や友人関係など様々な変化があった(ような気がする)1997年を振り返ってみようと思います。
プロレスに没頭して完全に虜になっていたハヤブサ少年、そして腐れ縁の悪友は、
中学3年生になり一年ぶりに再びクラスメイトとなる。
3年8組、思えば奇跡の出会いだったのかもしれない。
400人以上いる学年の中から数少ないプロレス好きの精鋭が集まった奇跡の3年8組。
そんな3年8組プロレス部のメインロースターをご紹介しよう。
【ジュンヤ】
かつてお隣の小学校のサッカー部でエースナンバー10番を背負うも、
練習嫌いのためキャプテンをクビになった男。
ワタシの青春時代を語るにあたって切っても切り離せない一人、腐れ縁野郎である。
天性の運動神経の持ち主であり、帰宅部のクセにバスケ部と1on1をやって勝ってしまう上、
サッカー部で一番短距離走が速かったワタシと同タイムで50M走を駆け抜けた怪物野郎。
【タミオ】
名字が奥田というだけでタミオと呼ばれた男。
あだ名の由来はモチロン奥田民生である。
あだ名に不満を持つも、力がなく実力行使が出来なかったモヤシ君。
しかし頭脳明晰でプロレス部きっての秀才君であり、オバカ集団のサッカー部の中では成績が良く調子に乗っていたハヤブサ少年ごときでは、逆立ちをしてもタミオに勝つことは出来なかった。
なお現在は地元の大きな病院のお医者さんになっている模様。
マジで頭良かったんです。
【ハルキ】
心優しきバッドボーイ。
普段は言葉少なく自己主張するタイプではないが、いざとなれば実力行使も厭わない熱血漢。
身長は当時155センチほどで大きい方ではなかったが、その身体は密度の高い筋肉で覆われていた。
今の新日本プロレスで例えるなら、CHAOSの石井智宏のような漢である。
本当はジュンヤと張り合えるくらいの実力があるのに、ハヤブサ少年やタミオが繰り出す稚拙な技にいつも付き合ってくれた優しい漢である。
当時最もプロレスを理解していたのはハルキかもしれない。
3年8組プロレス部が卒業まで存続することが出来た陰の立役者であった。
【アキラ】
小学5年の頃に兵庫から転校してきた転校生。
ハヤブサ少年とは小学校、中学校通じて一度も同じクラスになったことは無いのだが、
家が近く、通っていた学習塾が同じであり、それがキッカケで仲良くなった。
中学2年生の頃にジュンヤと同じクラスで交流があり、当初は3年8組プロレス部の試合を観客として観戦していたが、
いつからかジュンヤの技の餌食となり晴れてメインロースター入りを果たす。
格闘技、プロレス共に大好きであり、ハヤブサ少年に修斗の存在を教え、
総合格闘技との出会いを与えてくれた存在である。
【ハヤブサ】
ワタシだ。
(本当はモンスターエンジンの画像が欲しかったが、良いのが無かった・・・)
プロレスに没頭し、主にサブミッションを研究することに精を出した。
しかし、非力につきパワーファイトを仕掛けられるとたちまち劣勢に立たされ、
ジュンヤが仕掛ける関節技にタップする日々を過ごした。
しかし、ワタシは中学3年生の1年間でおそらく500回ほどジュンヤの技にタップしているww
「日に2度破れる奴があるか!!」と某オーガに怒られてしまいそうだが、3年8組プロレス部はヤワな団体ではなかった。
昼休み&放課後の時間を使って毎日3〜4試合をこなしていた我々にとって、400戦無敗という触れ込みは大したものではなかった。
おそらくジュンヤは1000連勝くらいしていただろう。
誰も奴には勝てなかったのである。
1学年で400人以上いる学校において、プロレス好きを公言する5人(アキラは巻き込まれ被害者だがw)
がプロレス部に集結するなど奇跡であった。
そんな我々はプロレスに没頭した。
昼休みは教室の机を全て後方に寄せ、プロレスの試合に勤しんだ。
体育で柔道の授業があれば我々は投げ技など目もくれず、腕ひしぎ十字固めの入り方を研究したものである。
時には試合形式ではなく、純粋な技の研究会なども行った。
関節技やストレッチ技をかけ、どうしたら最もダメージを与えることが出来るかということを模索した。
こうしたプロレス部の活動を通じて、我々はプロレス技の痛み、苦しみを知ったのである。
(逆エビ固めを喰らったことがある方ならわかるはず。マジで数秒でタップしてしまいますよ。殺人技です、あれは。)
そんなプロレス部の存在もほどなくして担任の先生の知る所となる。
しかし時代背景であろうか、我々3年8組プロレス部は担任のアッシー先生(あだ名だ)からこんなことを言われる。
「お前達、テクで来い!!」
あろうことか、担任の教師から関節技の勝負を挑まれたのである。
要するに、
プロレスをすることは構わん。
しかしそれなりの技を身につけているんだろうな?」
という、およそ中学生に浴びせるには刺激が強すぎる、強烈なメッセージがそこには込められていたのである。
一方の我々は、昼休みや放課後の時間を使って自分たちなりに真剣にプロレスをしていた。
時折、ふざけ半分で「お前ら何やってんだよ!」と絡んでくる奴らもいたが、
そういう奴らはスリーパーホールドでタップさせた上で、逆エビ固めや足四の字固めで徹底的に痛めつけ、
二度と歯向かうことが無いように調教した。
注)良い子はマネしちゃダメ、ゼッタイww
こうした経験を通じて、我々はプロレス技が本当に効く技であると体感し、
プロレスがリアルファイトであると信じた。
そうしているうちに、絶対王者であるジュンヤには勝てずとも、
他の奴らよりは強いのではないかという幻想を抱くようになる。
そこへきてこのアッシーの一言である。
ハヤブサ少年の心中は内心「プロレス技を使えばアッシーに勝てるんじゃね?」という想いがあった。
しかしアッシーは「ワッハッハッハ!」と当時の漫画でもナカナカお目にかかれないようなわざとらしい笑い声をあげ、余裕の表情を崩さない。
そんな中、タミオが関節を取るために仕掛ける。だが次の瞬間、タミオは腕を捻られギブアップしてしまった。
我々は知らなかったのだ。
アッシーが実は柔道の有段者であることを。
タミオに続き、ジュンヤ、ハルキとプロレス部の実力者が仕掛けても逆に関節を極められ敗れていった。
そしてワタシも数秒とかからず腕を極められあっという間にタップした。
我々がリアルファイトと信じて練習したプロレス技はアッシーには通じなかった。
柔道有段者の圧倒的な技術の前に我々プロレス部はなす術なく敗れたのだ。
しかしこれをもって終わりだとは考えなかった。
大人に比べ身体の小さい我々は、大きくなれば強くなれると思った。
もっと筋力を付け、パワーファイトにも対応出来るようになればきっと勝てるはずだと、そう信じて我々ブロレス部は中学を卒業した。
1998年3月のことである。
世間的には第二次UWFが解散し、新日本プロレス対UWFインターの全面戦争も1995年にとっくに決着していた時代である。
そして1997年は髙田延彦対ヒクソングレイシーという世紀の一戦が行われた年であった。
奇しくも、我々3年8組プロレス部とアッシー先生の対決は、UWFインター対グレイシー柔術のようであった。
我々が取り組んだプロレスは、柔道という確かな技術体系に裏付けられたアッシー先生に文字通り赤子のように捻られた。
知らず知らずのうちに我々はUWFの真似事をし、そして圧倒的技術の前に敗れた。
歴史は繰り返すのだ!
(そんな大袈裟なことではないw)
総合格闘技との出会いについてはまたの機会に振り返りたいと思うが、
せっかくだからこの記事を締める前に3年8組プロレス部の面々をかつてのUWFインターの選手に例えて本記事を締め括りたいと思う。
【ジュンヤ】
団体の絶対的エース。
普段の立ち振る舞いを見るとさながら前田日明なのだが、
強引にUWFインターに例えたいので髙田延彦ということにしておく。
【タミオ】
プロレス部きっての秀才君、かつお調子者。
アッシーに意気揚々と技を仕掛けて秒殺される様はまさに安生洋二そのものであった。
【ハルキ】
いつもハヤブサ少年やタミオが繰り広げる軟弱ファイトを受けてくれた心優しき漢。
おそらく彼は本気で闘うことが出来なかったのではないか。
そんなハルキの心の叫びを20年越しにワタシが代弁しておきたい。
「ジュンヤ、俺と真剣勝負してください!お願いします!」
彼は田村潔司である。
【アキラ】
格闘技やプロレスは好きだが、自身で闘う事は望まなかった男。
常にジュンヤが繰り出す無慈悲な関節技の標的となった。
レスラーというよりはフロント寄りであり、3年8組プロレス部唯一の背広組と言える。
(ま、クラスは3年8組ではなかったがww)
というわけで鈴木健でどうだろうか。(←誰に聞いてんだ!)
【ハヤブサ】
ワタシは関節技の研究をすることに熱心だった。
熱中していた新日ジュニア戦線で当時最も目を引いたのはケンドー・カシンによる腕ひしぎ十字固めである。
スタンド状態からの飛びつき式、肩車のような体勢から入るビクトル式、そしてついには雪崩式まで。
いつ何時どんな体勢からでもフィニッシュ出来る腕ひしぎに大変な魅力を感じた。
その他にも膝十字やヒールホールドなど足関節も研究した。
自分で言うのもなんだが、例えるなら山崎一夫である。
(ワタシは山ちゃんが大好きです)
格闘技路線のプロレスというものが一段落していたはずのこの時代に、
我々3年8組プロレス部はプロレスの強さを信じ、卒業とともに解散した。
プロレスは絶対に強いと信じてやまなかった、淡い青春時代の思い出話。
To be continued...